無意識の意識化(1)認識論的整理について
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やすねえ♥アテンダー こと 小林安子です
新5回シリーズは、無意識の意識化について、
下記内容で それぞれのシリーズごとに書いてみたいと思います。
(1)認識論的整理
(2)存在論的整理
(3)脳科学的整理
(4)心理学的整理
(5)現象学的整理
[無意識の意識化(1)認識論的整理]について
認識論って哲学のひとつだけど、実は 西洋では、いろんな人がいろんな考え方を主張して、認識する対象が どんどん変わってきちゃったり、認識をどう測って良いのか、客観的なモノの観方が発見できずに、長いあいだ内観するしかなかったり、色々とありました。。。さてさて、どうなることやら。。。
そのように、無意識をどう認識して意識化するのかは、人間がずっと知りたくて追求してきているのに、今までとっても難しかったんですね。
認識論的整理5回シリーズで、無意識を意識化するのって どうやってするの?今までどうしてそんなにむずかしかったの?認識論的な観点で、そのなぞをひも解いていきます!!
既存*認識論*概要
- 認識論は、哲学の1部門。知識論とも呼ばれる。
- 思想→哲学→認識論
- 哲学以前には、思想がある。
思想とは
- 考え・思い・意見。まとまった体系のあるもの。
- 大別すると、西洋思想と東洋思想がある。
- 西洋思想は、キリスト教、ユダヤ教・一神教思想・二元論的・絶対的・キリスト教の影響が強いが共有性があるので知らなくても理解できる・わけて認識する・自然に従わせる意志・理性・知性
- 東洋思想は、インド思想( バラモン教、ヒンドゥー教、仏教)、中国思想(道教、儒教)・一元論的・相対的・宗教や文化と一体となっているので それを理解しないとわかりにくい・あるがままに認識する・自然と共存する意志・感性
哲学とは
- 思弁的方法論。客観性の保証が全くない内観法を使用。
- 科学と科学以外に分けられる。
- 科学の方法論は、仮説を立て、実験し、検証する。
- 科学以外を、真理論、認識論、存在論に分けて整理する。
- 西洋哲学は、基本的に存在論。ヨーロッパ哲学、イスラム哲学。
- 東洋哲学は、基本的に認識論。中国哲学、インド哲学、日本哲学。
- 絶対的存在の想定型、主観と客観の対峙型、全体的なシステムの想定型の3つに分けることが出来る(貫成人)
認識論とは
- 認識論は、どのようにすれば真理を知ることができるのかを考えるもの。
- 認識論は、認識・知識・真理の性質・起源・範囲について考えるもの。
- 認識論は、人の外の世界を感覚を通じていかに認識していくかが問題視される。
- 認識という行為は、人間のあらゆる日常的、あるいは知的活動の根源にある。
- 存在論は、なにがどのように存在するかを考えるもの。
- 存在論は、認識の成立根拠と普遍妥当性を論ずることである。
- 認識論には、哲学的認識論と、科学的認識論がある。
- 19世紀末、認識論の一部が、哲学から心理学という学問を成立させる。
- 心理学初期は、内観や内省を方法論として、思弁的方法論を使用。
- 実践心理学は、思弁を排し客観的、科学的方法論をもとにした。
- 認識論の一部は、心理学に取り込まれていった。錯覚現象などが研究対象になった。
- 実験心理学では、データの統計的処理では科学的であったが、なぜ錯覚が生まれるかというメカニズムの解明では、仮説を立て実験データとの照合を論じてはいたものの、その仮説自体はやはり思弁に過ぎなかった。
- 人間の主観を排し、実験動物を用いた観察可能な行動のみを研究対象とする一派も存在したが、人間の認識は研究対象から外された。
- 認識論の問題は比較的最近まで客観科学化されずに哲学の領域にとどまり続けた。
- 認識論と存在論の2つの世界は、脳科学の進歩によって急速に大きく解明しつつある。
認識論で扱われる問い
- 人はどのようにして物事を正しく知ることができるのか。
- 人はどのようにして物事について誤った考え方を抱くのか。
- ある考え方が正しいかどうかを確かめる方法があるか。
- 人間にとって不可知の領域はあるか。あるとしたら、どのような形で存在するのか。
今までの認識論
- 思弁的な内観や内省が主流で、客観的に 認識メカニズムを解明できずに規定できなかったことが問題とされていた。
- 錯覚現象を客観的に 解明していく方法論を発見することができなかったことが問題とされていた。
今の認識論=心理学
- この2つの問題については、脳科学の進歩によって 、脳の認識メカニズムについては、解明することができるようになってきている。
- 人間にとっての不可知の領域につては、科学的な客観的検知では、まだ明確には、解明されていない。
- 2015年6月 量子レベルでの 観測(認識)に関する、オーストラリア国立大学の量子論研究者による研究発表がありました。「あなたが見ていないのならば、現実は実在しない」と発表されています。
[単一原子とホイーラの延滞選択思考実験(ゲダンケン・エクスペリメント)]
論文が掲載されているサイトはこちら。
http://www.nature.com/nphys/journal/v11/n7/full/nphys3343.html
世界的な科学誌『Nature Physics』に掲載されたこの論文、物理学の専門的な理論や概念は一般人には難しく感じますが、実験に当たった准教授の次の言葉は、改めて量子の世界のシンプルな本質を明確に物語っています。
"It proves that measurement is everything. At the quantum level, reality does not exist if you are not looking at it," said Associate Professor Andrew Truscott
〈観測が全てであることを証明している。量子のレベルでは、あなたが観ていないのならば現実は存在しない。〉
- 思弁的方法論にとどまりがちな 認識論も、ついに人間の脳機能の範囲に関して、科学的な客観的検知といえる研究発表によって解明されつつあることもあると言えるのではないでしょうか?
- なぜ錯覚が生まれるかというメカニズムの解明については、脳の仕組みと関係があります。錯覚現象については、脳科学的整理で取り上げたいと思います。
- 人間にとっての不可知の領域については、脳で認識できる範囲の外になります。
- 認識論の大前提の質問の対象が真理→自然現象→人間へとすり替わってきています。解明しようと追求する主体は人間であり、認識主体は、人間の脳機能に依存しています。その脳機能の中で創った存在が実在であるかの考えを中心軸に、考えようとしているところに客観性を求めるのは、無理があるのです。
- 脳で認識できる範囲のものも、脳機能的に、記憶がのこるものと、記憶としては残らないが、無意識の領域に残るものと、意識しなくてもできるように小脳にコピーされて条件反射のようになるものがある。
- 西洋思想で言われている霊魂や魂、大乗仏教で言われている阿頼耶識、心理学で言われている集合無意識が、脳機能では なかなか認識できないが、内観や内省では発見されている。それが客観的・科学的ではないため、思弁的方法論にとどまってしまうが、そもそも、科学でいう客観が脳機能を使って認識する範疇にとどまっている存在論出発である認識だというところに、そもそもの限界がある。
- 更に、人間の不可知の領域は、魂・霊魂・阿頼耶識・集合無意識の外の領域、又は、更に奥底の深い領域であり、いくら脳の機能を駆使しても、その源泉・ソース・根源を認識することはできない。
- そもそも、認識論の問いの大前提が西洋哲学によって客観性を求め、数式のように共有性がある確認方式・再現方式を求めたために、人間共通の脳機能で認識できる範囲にとどまっていたため、問いに対する答えが求められていない現在地である。
つまり、人間が 不可知な領域は、脳機能では認識できないけど、人間は その可知領域を認識できる術があるのかを知りたかった。もともと求めていたのは、その不可知領域のことなんですね !!
それはそれは、ご苦労様でしたということで、
だんだんいろんな人のいろんな考えが出てきて、対象が自然になったり、人間になったりしてすり替わっていってしまって、問いに対する答えではなくなってしまったことに気づいていなかったんですね!!
人間の認識メカニズムは人間の脳機能によって行われるので、人間の脳機能を使って人間の認識メカニズム自体を観測しようとすることにも、そもそも無理があります。客観的に観測したいなら、脳の外へでないと、脳の中のことは客観的には観えません 。ここがまず、今までの認識論の盲点ですね !!
認識論的整理5回シリーズで、認識論的観点ひもといていきますね♥ おたのしみに♪
THINK=思考*思い*考え について 私たち人間は、なぜ考えるのでしょうか?私たちの考えの正体とは何なんでしょうか?その考えはどこからどのように生まれてくるのでしょうか? - やす
THINK
2017/03/22 22:25
yasuneeattender.hatenablog.com