THINK*思想編*古代思想*メソポタミア神話
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やすねえ♥アテンダー こと 小林安子です
THINK*思想編*古代文明*古代メソポタミア文明シリーズは
THINK=思考・思い・考えの大前提となります
最古の文明*古代メソポタミア時代の人々と
現代に生きる私たちの思考パターンについて
どんな共通性・類似性・異質性があるのかを
考察していきたいと思います。
yasuneeattender.hatenablog.com
次は、メソポタミア神話から思想をみていきましょう!!
メソポタミア神話
*特徴*
- シュメール神話の影響を大きく受けている。シュメール神話は、フルリ人、アッカド、バビロニア、アッシリアの神話、その他の文化に引き継がれた。
- シュメール人、東方セム語アッカド人、アッシリア人、バビロニア人と後に移住してきたアラム人カルデア人の信仰した宗教であり、彼らの共有し、発展させた神話体系である。
- 現代のイラク、クウェート、トルコ南東部、シリア北東部にあたるメソポタミアとよばれる地域で紀元前4千年紀から4200年にわたり支配的な宗教であり続けた。
- 文字の発明までのシュメール神話は口承によって語り継がれてきた。初期のシュメールの楔形文字は記録手段にすぎなかったが、初期王朝時代になると賛歌という形の宗教文学に、そしてナム・シュブと呼ばれるまじないに使われるようになった。
- メソポタミアの多神教は数千年にわたりこの地域の唯一の宗教であり続けたが、その範囲はメソポタミア全域におよび、1世紀から3世紀にかけて徐々に衰退を始めた。
- この衰退は東方教会(アッシリア東方教会、シリア正教会などのシリアック・クリスティアニティ)、そしてユダヤ教、マニ教、グノーシス主義との接触によりもたらされた。その後300から400年もするとほとんどの宗教的伝統は失われた。10世紀ごろの僻地のアッシリア人のコミュニティにこの宗教の最後の痕跡をみることができる
*後の宗教への影響*
- メソポタミアの宗教は後の宗教に多大な影響を与えていると考えられている。その影響はカナン人、アラム人、古代ギリシア人、フェニキア人の宗教、さらにユダヤ教、キリスト教、マンダ教、イスラム教などの一神教にも及んでいる。
- アッシュールは4世紀まで信仰の対象となっていたことがわかっている。
- メソポタミアの多神教では、2100の神々が信仰を集めていた。多くの神々はそれぞれの都市や国と関係付けられている。それらには例えばシュメール、アッカド、アッシリア、アッシュール、ニネヴェ (メソポタミア)、ウル、ウルク、マリ、バビロンといった都市があげられる。
- 特に重要な神々としてはアヌ、エンキ、エンリル、イシュタル(アスタルト)、アッシュール(Ashur)、シャマシュ、シュルマヌ(Shulmanu)、タンムーズ、アダド(Adad)或いはハダド(Hadad)、シン、クル、ダゴン、ニヌルタ、ニスロッチ(Nisroch)、ネルガル、ティアマト、ベル、マルドゥクがあげられる。
- ジャン・ボテロ(Jean Bottéro)など、歴史家の何人かはメソポタミアの宗教が世界最古の宗教であると主張している。最古の宗教に関しては議論があるが、メソポミアが文字発祥の地であるため少なくともとも文字に残されたものとしては最古の宗教であるといえる。
- メソポタミアの宗教に関してわかっていることはすべて、この地域で考古学的に発見された品々、特には文献に由来する。それらは通常楔形文字で粘土板に著され、神話が主題のものもあれば宗教儀式に関するものもある。古代文明にはよく見られることだが、耐久性のある素材、貴重な素材で造られたアーティファクトは、それがゆえに後代まで残ることになったとも考えられるのだが、たいていの場合信仰や儀式にまつわる品々である。ある学者はメソポタミアの人々について、「彼らの残したほとんど全てから彼らの宗教に関して知ることができる。すっかり信仰に染まった人々であったのであろう」と主張している。
- アッシリア(ジャズィーラと呼ばれる地域)のいくつかの孤立したコミュニティを除けば、およそ400年頃にメソポタミアの宗教は消滅している。
- メソポタミアの宗教は旧約聖書を通じて現代の世界に支配的な影響を与えているといえる。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、マンダ教に見られる旧約聖書由来のストーリーは、初期のメソポタミアの神話をベースにしている可能性が指摘されている。とくに創造神話、エデンの園、大洪水、バベルの塔、そしてニムロドやリリスといった人物にその類似性が顕著である。加えてモーセの出自に関してはサルゴンとの類似性が、モーセの十戒はアッシリア、バビロニアの律令との類似性が指摘されている。さらには現代のネオペイガニズムにもメソポタミアの神々に対する信仰を説くものがある。
【1】創造神話
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シュメール神話では、原初のアンとキがエンリルを生み出す。エンリルは後にシュメールのパンテオンのリーダーとなった。大気の女神ニンリルをレイプする目的で他の神々がエンリルをディルムンから追い出すと、ニンリルは月の神ナンナを儲けた。ナンナはニンガル(Ningal)との間に戦争と豊穣の神イナンナ、そして太陽の神ウトゥ(Utu)を儲けた。
【2】神話におけるメソポタミアの宇宙観
- シュメール人は世界を閉じたドーム状で、その外には原初の海が広がっていると考えていた。ドームの基礎をなす地表の下には地下世界とアプスと呼ばれる淡水の海が広がっていると考えていた。ドーム状の空を司る神はアン(An)、地上の神はキと呼ばれた。原初の海はナンムと呼ばれ、シュメール・ルネサンス(ウル第三王朝)の中でティアマトと呼ばれるようになった。
- 紀元前1200年頃に書かれた創造の叙事詩では神、マルドゥクが母なる神ティアマトを殺し、その半身を使い地上を作り、残りの半分から楽園 (宗教)(šamû)と冥界(irṣitu)を創ったとされている。
- 同時期に書かれた別の文献には、宇宙は回転楕円体で、神々と星の住まう3層の楽園とその下の3層の地上からなると描写されている。
- 多神教のメソポタミアの宗教は様々な神々の存在を許容した。
- 一方で単一神教としてそれぞれの信者集団がそれぞれ特定の神をより優れたものとして信仰した。これらの集団は大抵の場合都市あるいは都市国家ごとに形成され、それぞれの都市の守護神を信奉した。例えば神エンキは都市エリドゥ、アッシュールはアッシュールまたはアッシリアそのものの、エンリルはニップル、イシュタルはアルビール、マルドゥクはバビロンの守護神と考えられた。
- メソポタミアにどれだけの神が存在したのかは分かっていないが、タルクヴィスト(K. Tallqvist)は彼の著書の中で今日知りうる限りではおよそ2400の神々が存在したとしている。
- その中の多くはシュメールの名を持っている。シュメール語では神々はディンギルと呼ばれ、一方アッカド語ではイル(ilu)と呼ばれていた。この2つのグループはお互いの神に寛容で、お互いにそれぞれの神を取り入れあっていた。
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BC24世紀のシュメールへのサルゴンの侵入に先立って、北部メソポタミアではシュメール人とセム語族のアッカド人との間に言語的文化的な交流がいく世代にもわたり続いた。シュメールの神話と宗教的習慣とアッカド文化は急速に統一されてゆき、その中でアッカドの宗教体系のほとんどは失われたと考えられている。シュメールの神々はアッカド人の中に受け継がれ、その中で発展した。それらのうちの一部は実質手つかずのまま後のバビロニアやアッシリアの時代まで残った。たとえばシュメールの神アンはアッカドではアヌになり、シュメールのエンキはエアとして受け継がれている。シュメールのニヌルタとエンリルはアッカドのパンテオンの中でもほぼ同様の役割を果たすと考えられる。
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BC17世紀にはバビロニア系のアムル人が南部メソポタミアに勢力を築いた。古バビロニアの時代、シュメール語とアッカド語は宗教的な目的で保存された。現在の歴史学者たちが目にする大部分のシュメール神話は古バビロニアの時代に由来している。 すなわちバビロニア版のギルガメッシュ叙事詩に代表されるようなシュメール語の文献の写本と、エヌマ・エリシュのようなシュメールやアッカドの影響を受けたバビロニア神話である。シュメール、アッカドのパンテオンにも手が加えられた。その変更は最高神マルドゥクの登場に顕著である。シュメール女神イナンナもまた古バビロニアの時代にイシュタルへと置き換えられた。
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紀元前1200年までのいずれかの時点でフルリ人はアッカドの神アヌを彼らのパンテオンに取り込んだ。アヤ(アッカドのエアに相当)シャウシュカ(アッカドのイシュタルに相当)や、バビロニア時代をへて劇的に変化したニンリルなど、アッカドの神々をフルリ人のパンテオンに取り込んだと考えられる。
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シュメール神話のうちのいくつかのエピソードは中東の宗教のなかに類似がみられる。たとえば旧約聖書のノア と洪水の話はギルガメッシュ叙事詩に語られるシュメールの大洪水との類似性が指摘される。ユダヤ教の冥界シェオルの描写は、女神エレシュキガルの統べるシュメールの、そしてエレシュキガルの配偶神とされるネルガルの統べるバビロニアのキガルによく似ている。サミュエル・ノア・クレイマー(Samuel Noah Kramer)はシュメールやアッカドのことわざと後のヘブライのことわざの類似性を指摘している。これらことわざの多くは箴言に見ることができる。
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記録上シュメールは紀元前2900年をさかのぼることはない。しかしシュメールの文明は紀元前4500年から4000年の間に興ったと考えられている。紀元前3000年紀、最初期のシュメール文学にはアヌ、エンリル、ニンフルサグ、エンキの4柱の神々が登場する。この神々はときにお互いにちょっかいを出し合ってはいるが、協力して創造を行った。たくさんのシュメール神々のリストがいくつか見つかっている。神々の序列やそれぞれの関係は楔形文字の粘土板の解読の中で調べられている。
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シュメールではもともと擬人観を通した多神教が信仰されていた。かれらは宇宙や地上の自然の力に神々を見ていた。その神々は紀元前3千年紀の間に人間中心主義的な側面を持つようになり、自然の神々はそれぞれの都市の神となった。エンキやイナンナのような神々はその地位、力、知識を、天の神アンや最高神エンリルから授かったという見方が定着した。
この世界観のシフトは近隣のアッカド帝国の宗教や、シュメールの都市国家間で頻発するようになった軍事的争いによるものだと考えられている。神々に授けられた権力を、都市国家や神官から権力を与えられたルガル(王)と重ねていると見ることができる。
- メソポタミアの神々にも擬人観を見ることができる。人間らしさを持ち、したがって人の姿を持っている。人間と同様に飲食を必要とし、お酒もたしなむ。結果として急性アルコール中毒に悩まされることもある。
- 人間よりも高次の存在と捉えられていた。人間よりも力強く、全知なる存在であり、人間には計り知れない存在であり、なりよりも不死である。
- 人との違いという点では、神々の持つメラム(melammu)と呼ばれる後光が最たるものと言える。メラムは神々を包み込み、見た者に畏怖と尊敬の念を抱かせる。
- 神々の多くはそれぞれ血縁関係にある。これは他の多神教においてもしばしば見られる特徴である。
- 歴史家のボテロ(J. Bottéro)は、メソポタミアの人々は神秘主義的に神々を見ていたのではなく、かといってあこがれ、敬慕する存在というのでもなく、従うべき、畏れるべき自分たちの主人として見ていたと述べている。
- メソポタミア人の名前には貴賎に関わらず神々の名前を含むものが多く見られる。この習慣は紀元前3000年紀にシュメール人から始まり、後にはアッカド人にも取り入れられた。
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大部分のシュメールの神々はアヌンナ(Anunnna、アヌの子孫たちの意)に分類される。一方でエンリル、イナンナを含む7柱の神々はアヌンナキ(アヌの子孫たち+キ)とよばれる「地上、冥界の審判者」に分類される。ウル第三王朝の頃、シュメールのパンテオンには60の60倍、すなわち3600の神々が存在するとされた。
- 初期の段階ではパンテオンに序列は存在していなかった。しかし後にメソポタミアの神学者たちは神々に重要度に応じた序列をつけた。560に及ぶシュメール語で書かれた神々のリストがファラ(Fâra)とテル・アル・サラビク(Tell Abû Ṣalābīkh)で見つかっている。およそ紀元前2600年ごろのものと見積もられている。その中では5柱の基本的な神々が特に重要な存在として位置づけられている。
- これら初期のメソポタミアの中で特に重視されていたのがエンリルである。シュメール人の宗教観ではエンリルは神々の中の王であり、世界の支配者として扱われていた。そして後にはアッカド人にも取り入れられた。エンリルに近い役割を持つシュメールの神アン(An)もアッカド人に取り入れられ、アッカド人の間ではアヌとして信仰された。シュメールのエンキはアッカド人にもエンキとして取り入れられたが、後にエア(Éa)と名前を変えている。同様に月の神ナンナはアッカドではシンに、太陽の神ウトゥ(Utu)はアッカドではシャマシュに名前を変えている。女神ではシュメールの性と戦いの神イナンナが特に重視された。後に紀元前18世紀ごろ、南メソポタミアでバビロニアの影響力が増すとハンムラビはそれまで注目されることの無かったマルドゥクをアヌ、エンリルと並ぶ最高位の神とした。
- メソポタミアの宗教の中で今日まで残った重要な神話としてギルガメシュ叙事詩があげられる。この叙事詩では英雄ギルガメシュ王と彼の無二の親友、野人エンキドゥの物語、そして神々の思惑が複雑に絡み合う不老不死を求めたギルガメシュの旅が語られている。